素描

岐阜新聞朝刊のコラム「素描」2021年3月・4月の毎週土曜日、全8回を山田文美が執筆いたしました。

第1回 2021年3月6日『始まりの手紙』

私が故郷の高山市を離れ、中津川市に住み始めたのは1990年のことです。結婚して名字が変わり、生後1か月の長男とアパートの一室で夫の帰宅を待つだけの毎日は、世間とのつながりを失ったようでした。当然、私宛ての手紙は1通も届かないので、懸賞やプレゼント企画に応募し、返事を待つようになりました。ここに私の存在を知っている人がいるように感じていました。

数年後、舅の時計店を継いで商売を始めた時にお客様に手紙を送ることにしました。でも送り先の顧客名簿が一つもありませんでした。お客様情報は舅の頭の中だけにあったのに、病気であっという間に亡くなってしまったからです。それでも手紙を出したい気持ちは抑えられず、手元にあった息子の同級生名簿を見て手紙を書きました。親しくもない相手に手紙を出してもいいものか、何度も躊躇して3日目にやっと投函できました。

80人のうち3人が反応してくれました。1人目は夫の同級生でもある近所の女性で「ありがとう」と言われました。2人目は会話もしたことがない方で「きっと返事を待っていると思ったからファクスを送ります」と返信を貰いました。3人目は数カ月後に店でピンキーリングを買ってくれました。今では私と一緒に店舗運営をする仲です。

この3人のおかげで私は今でも店を続けています。商売は、仕入れと経費以上に高く売ればいいだけの話ですが、その難しさにいつも頭を抱えます。行き詰まると、悩んで出したこの手紙を思い返します。無視してもよかったのに反応してくれた人がいた奇跡を噛みしめ直すのです。

第2回 2021年3月13日『お客様はたった1人』

商売を継いだものの店舗は雨漏りし、おまけに借金付きでした。お客様の来店はほとんどありません。あまりの静けさに展示してある腕時計の秒針の音が店内にずっと響いていました。

ある日、「本当は流行っている店に行きたいけど、車がないから仕方ない」と渋い顔で来店したお客様がいました。流行の店までバスで片道40分かかるので、私の店に来ることで得することは移動時間がかからないことだけでした。

そこで、私は来店客の話を40分間聞くことを始めました。戦争や愛犬、病気、仕事、孫の話…。来店したお客様一人一人から話を拝聴するだけでしたが「ありがとう」と言って笑顔で帰られる変化が起こりました。一つとして同じ話はありませんでした。お客様をひとくくりに考えていた自分の過ちに気付きました。目の前に座っている一人のお客様にすら喜んでもらえない店が繁盛するはずがありません。

お客様一人ずつ、名前と連絡先を聞いて顧客名簿をコツコツと増やし手紙を出し続けました。ダイレクトメールのような売り込みではなく、大切な友人に送る手紙のような内容にしました。40分お話を聞いて生まれた縁が、新規のお客様の来店につながって、さらに商品の購入に結び付いて店は生き返りました。

お客様の人生に少しだけ関わらせていただけるのが商売です。腕時計に新品の電池を入れて子どもの受験に持たせる親の気持ち、祖母の形見分けの古い指輪をリフォームするお孫さん、再就職のために眼鏡を新調するお父さん、たくさんの人生をこっそり応援する毎日です。

第3回 2021年3月20日『厳しくて優しい先生』

店舗は商品が売れないと存続の危機に陥ってしまいます。だからお客様に商品を勧めますが、宝石やアクセサリーなどの高額品だと購入を断られる確率が高く、心折れる体験が多くなります。

ある時、腕時計の電池交換で来店したお客様に対し「宝石を見てください。見るだけです」と声を掛けると、即座に拒絶されました。「嫌われちゃったな」と思っていましたが、お客様はその後も時計やメガネの修理など細々した用事で来店してくれました。どうやら私の声掛けが悪かっただけのようでした。

そこで違う声掛けを始めました。「クレオパトラが愛した宝石を見ませんか」「テレビで女性キャスターが着けていたネックレスです」といった具合です。チラッと見てもらえるようにはなりましたが、今度は「このぐらいの価格の商品を買うお金が無いわけじゃないのよ」と言われ、謎解きのようでした。

来店の理由は考えても分からないので聞いてみると、「あなたがいるからよ」と思いもしない返事をもらいました。続けて「あなたはいつも違うからよ。介護で家にずっといると毎日が同じで息が詰まるの」と。店は買い物をする場所だけではないと知りました。

店は自分の気持ちを分かってもらう場所でもあったのです。それなのに売り上げのことばかり考えて声掛けをしていました。「また気分転換に来てください」と伝えると「あなたがはめているのと同じ指輪を買うわ」とニッコリされました。

お客様は厳しく優しい先生です。接客が下手だと何も売れず、うまくいくと購入という「花丸」をつけてもらえます。

第4回 2021年3月27日『手書き誤字脱字チラシ』

私が店を継いで間もない頃、お客様の姿がない店を心配した近所の商店主さんが「チラシを出してみたら」と教えてくれました。ただ、人気の商品をチラシに載せようにも私にはその商品を仕入れる経費がありませんでした。苦肉の策として商品ではなく私自身を紹介することにしました。

チラシの内容は最近読んだ本の感想、出張先での出来事、子供の頃の思い出、冷蔵庫の中身紹介などで、商品のPRとは関係ない内容で紙面が埋まりました。出来上がったのは手書きの素朴なチラシでした。

こんなチラシが、果たして許されるものかと心配しましたが、新聞折り込みをするたびに電話やはがきでチラシの感想が届きました。誤字脱字を教えてくれる人もいました。チラシを保存してくれる人まで現れ、年末には「楽しいチラシをいつもありがとう」と菓子折りが届きました。ただの店のチラシでしたが、お客様に私の思いは届いていたようです。

ただ、うれしいと同時に悔しくて仕方がありませんでした。商品購入にはなかなかつながらず、商人としては失格だと感じていました。

そこで一つだけ仕入れたサンプル商品をチラシに掲載し、予約時に代金の先払いをお願いしてみました。すると「あなたが薦めるなら」と、多くの注文とともに私への応援の言葉をいただきました。買い物行動は、お客様の応援行動だと知りました。売れないのは商品のせいではなく、私の商売に対する姿勢に問題があったのです。

応援してくれる人を裏切ることは出来ないと感じ、専門分野の勉強をやり直し始めました。

第5回 2021年4月3日『無くなった店は元に戻らない』

自宅から歩いて行ける距離に昔ながらの小さな八百屋がありました。大型店よりも近くにあり、通販とは違って手に取って品定めができるのが魅力でした。スイカを必要な分だけ切り売りしてくれたり、ジャム用のイチゴを頼んでおくと、小粒で購入しやすい値段の時に電話をくれたりする店主の人柄に触れ、よく利用していましたが、来店客が減って閉店してしまいました。

店主は、閉店して不便になったという声を地元の人から聞くたびに「だったらもっと利用してくれたらよかったのに」と嘆きました。お客様の要望に応えてくれる店主の人柄が伝わっていれば、私と同じように店を利用する人が増え、存続していたでしょう。

無くなった店は元に戻らない現実を身近で体験しました。全国の個人店に生き残ってほしいという思いが生まれ、11年前から経営コンサルティングを始めました。小さな店は資金も人手も少なく大型店の商品数や価格をまねることはできませんが、店主の個を前面に出すことはできます。

商品数と価格だけではなく、スイカの切り売りのように、どんなお客様の役に立てるのか、商売を通して誰の役に立ちたいのか、思いを発信すると店主の人柄が伝わり、共感した人が「あなたに会いに来た」と新規来店につながります。来店するか、しないかはお客様の心ひとつです。お客様にとって誰から買うのかも大切なことです。

「他にもたくさんの店がある中、わざわざ当店にお越しいただきありがとうございます。うれしいです」。そんな最初の声掛けから、お客様との商いが始まります。

第6回 2021年4月10日『「お客様の声」に宿る不思議な力』

昨年6月、新型コロナの影響で販売する機会がなくなったヒノキ製の植物プランター30個を売ってほしいと地元木工団体から依頼が来ました。1ヵ月間、店舗に置いて様子を見ましたが、全く売れません。お客様からは「塗装されていない。デザインが好きじゃない」と売れない理由をご指摘いただきました。でも完成した商品を作り替えることはできません。

そんな中、猫を飼っているスタッフが「家の猫なら入るかも」とひらめきました。実験してみたら2匹ともが植物プランターに入って眠ってしまい、商品名を「つけちヒノキの高級ねこプランター」に変え、猫用ベッドとして販売することにしました。未塗装だったことがヒノキの香りを引き立て、形状も猫が安心するサイズ感となり、売れない理由が”猫に優しい商品“に変わりました。

在庫の30個は順調に売れ、メディアで取り上げられたことをきっかけに3日間で千個の注文が入りました。鳴り続ける電話対応を減らすためにネット注文の仕組みを用意し、増産手配に奔走しました。一方、突然の変化にスタッフから「クレームが怖いからやめよう」という意見も出ました。起こってもいない未来に不安を抱いて行動できなくなってしまいました。

不安を吹き飛ばしてくれたのは、お客様からのお礼の言葉と、猫たちがベッドでくつろぐ写真と動画でした。私たちの仕事は間違いなくお客様の役に立っていたのです。

新しい挑戦は、時に心ないからかいをもらうこともあります。役に立てるかもしれない人の笑顔を思い浮かべると、不思議と勇気が湧いて、続けることができるのです。

第7回 2021年4月17日『新しい価値は他人が教えてくれる』

「声優俳優の専門学校に通ったのに何にもならなかった」とスタッフが呟きました。それを聞いた他のスタッフは「何かできないかな」と興味津々になり、話が盛り上がるうちにアニメのキャラクターを再現するコスプレのテクニックを学ぶ講座のアイデアが生まれました。「面白い。お客様にも知りたい人がいるはず」。他人の視点が新しい価値を生みました。

講座は好評で、さらにコスプレの野外撮影会場として中津川市付知町を紹介する事業も始めました。河原や森、さびれた商店街、昭和の住宅、陸橋といった風景が、コスプレーヤーの求めるキャラクターの世界観を表現する舞台になります。地元住民にとって価値を感じない「さえない田舎」が都会から人を呼び込む資源に変わりました。

スタッフ同士で教え合う中で、新商品が生まれます。実家が花農家のスタッフは道端にある何でもない苔や小石、小さな植物などを木升に寄せ植えして土産物にしています。大学で古文を専門に学んだスタッフは地元神社の神様を調べ、小さな神社を広める講座を開催しています。

新しい商品を生み出すスタッフたちは一般的な価値観の中で認められなかった、就職につながらなかったという理由だけで役に立たないと感じていたようです。お客様の喜ぶ反応を見ると値打ちがあると実感できます。

インターネットの広がりで、お客様は瞬時に膨大な情報を手に入れ、変化し続けます。販売側が生き残るには今ある物を新しい形に組み替え、変化を続けてこそです。お客様やスタッフ同士の会話が新しい価値を創り出すきっかけになります。

第8回 2021年4月24日『小さな個人商店のその先にある挑戦』

地元から消えつつある文化を残したいと、2019年春に築150年の古民家をゲストハウス&カフェに再生しました。普通の木造住宅ですが、幕末から明治、昭和、平成の時代の移り変わりを見てきたのかと感じたら令和にも活躍してほしいと思ったからです。

 夜に窓を開けると外は真っ暗闇。夜中になるとイノシシが地面を掘り返す音が響いてきます。明け方には鳥のさえずりが聞こえ、昼間には風が木々を揺らすざわめきと虫の鳴き声が心地よいです。郷土食をメニューにし、レコードとボードゲームを置いています。

 懐かしさを求める50代以上のお客様が利用するだろうと予想していましたが、実際には親子連れのほか、20代、30代の方が「新しい感じがする」と利用しています。

 地域おこしという名の下に多くのイベントが催されてきましたが、地域は寝かせたままの方がいいと考えを改めるようになりました。作り込まれた物事を押し付けるのではなく、田舎のありのままをインターネット上で見つけてもらい、訪れる行動を引き出す”地域寝かせたまま作戦“が地域を救うかもしれません。

 都会から取り残された田舎の古くささを知らない世代が増え、田舎を訪れる消費行動につながっています。そこで、ありのままの田舎を発信するホームページを作り始めました。町内会で世話をする鎮守の小さな神社や透明な川の流れ、住民の生活を支える個人商店など「暮らし方」を伝え、地元にちなんだ品をECショップで販売します。

 まるでこの町に暮らしているかと錯覚してしまうような疑似故郷をつくる新しい挑戦です。