岐阜新聞朝刊のコラム「素描」第2回 2021年3月13日『お客様はたった1人』

商売を継いだものの店舗は雨漏りし、おまけに借金付きでした。お客様の来店はほとんどありません。あまりの静けさに展示してある腕時計の秒針の音が店内にずっと響いていました。
ある日、「本当は流行っている店に行きたいけど、車がないから仕方ない」と渋い顔で来店したお客様がいました。流行の店までバスで片道40分かかるので、私の店に来ることで得することは移動時間がかからないことだけでした。
そこで、私は来店客の話を40分間聞くことを始めました。戦争や愛犬、病気、仕事、孫の話…。来店したお客様一人一人から話を拝聴するだけでしたが「ありがとう」と言って笑顔で帰られる変化が起こりました。一つとして同じ話はありませんでした。お客様をひとくくりに考えていた自分の過ちに気付きました。目の前に座っている一人のお客様にすら喜んでもらえない店が繁盛するはずがありません。
お客様一人ずつ、名前と連絡先を聞いて顧客名簿をコツコツと増やし手紙を出し続けました。ダイレクトメールのような売り込みではなく、大切な友人に送る手紙のような内容にしました。40分お話を聞いて生まれた縁が、新規のお客様の来店につながって、さらに商品の購入に結び付いて店は生き返りました。
お客様の人生に少しだけ関わらせていただけるのが商売です。腕時計に新品の電池を入れて子どもの受験に持たせる親の気持ち、祖母の形見分けの古い指輪をリフォームするお孫さん、再就職のために眼鏡を新調するお父さん、たくさんの人生をこっそり応援する毎日です。
この記事は
株式会社ごえん 代表取締役社長
地域商店コンサルタント
山田文美(やまだあやみ)
が書きました。
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